千代田区有形文化財 井政 - 「遠藤家旧店舗・住宅主屋」

江戸時代より続く材木商の遠藤家。江戸城築城のために招集され、鎌倉材木座より神田鎌倉町(現在の内神田1丁目)に移り住みました。
現在の建物は1927(昭和2)年に建設。1972(昭和47)年の府中市移築を経て、2009(平成21)年に千代田区有形文化財の指定を受け、神田の地へ再移築されました。

当初は平屋でしたが、1954(昭和29)年に1階の一部と2階を増築。
府中市移築の際には、状態の良い部分だけを残したうえで、1階北側と玄関奥の廊下を増築。さらに当時敷地内にあった別棟の2階部分を玄関東側に据えました。
その後、神田への再移築にあたり、府中時代は畳敷きだった部屋を、土間と帳場というかつての店の姿に復元。また移築先の宮本公園が茶道 江戸千家発祥の地であることにちなみ、玄関東側の和室を茶室へと改修しています。

季節の行事

正月

雛祭

端午の節句

企画展

井政「神田の家」では、江戸の暮らしを今に伝える遠藤家の調度品を展示するなど、季節の行事に合わせたイベントを企画・開催しています。
先人の美意識や職人の技、そして「和の心」を次世代へ受け継いでいく場として、井政「神田の家」をお貸しすることも可能です。
詳しくはこちらをご覧ください。

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遠藤家の歴史

井政 ー 井筒屋政藏

江戸開府の頃より、神奈川県鎌倉の材木座において公儀御用達の材木仲買を営んできた遠藤家。徳川家康の江戸城築城に際し、木材の集荷を命じられ神田へと移り住みます。当時、神田周辺に鎌倉の材木職人が集められたことから、神田鎌倉町(現在の内神田1丁目)の名が生まれました。
遠藤家は、明治維新以降、代々の当主が継いだ井筒屋政藏の名から屋号を「井政」とし、終戦後は神田木材企業組合を設立。当代で17代を数える歴史ある材木商です(2014年現在)。

遠藤家と神田明神、将門塚

神田明神は正式名を神田神社といい、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、平将門命(たいらのまさかどのみこと)をお祀りしてきました。しかし明治期より、将門公は祭神から外されていました。
神田鎌倉町は、神田明神氏子地域の中で最も将門塚に近く、古くからこの町会で商いを続けていた遠藤家は代々将門塚を守ってきました。戦後の混乱期も塚を守った先々代の政藏に続き、先代達藏は1960(昭和35)年に結成された将門塚保存会の中核を担っていました。
達藏はその後、神田明神氏子総代、責任総代を歴任。さらに将門塚保存会会長として将門公の復権に力を注ぎ、1984(昭和59)年、ついに将門公の祭神復帰を実現しました。